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ここたんとやまちょこの場合

ここたんは5歳になりました。
ここたんの弟、よだれ製造機のやまちょこ1歳。
一緒に遊び、時にはケンカをする2人の物語です。

いつものように保育所に登所した2人。
そこにやまとにとっては人生発の巨大地震発生。
やまとは先生におんぶされ、ここたんはクラスメートと一緒にすぐ近くの気仙小学校に向かった。
でも校舎には入らなかった。
気仙小学校は3階建てだが、山の方が若干高い。
先生方はみんなを気仙小学校の脇にある山に登らせた。
その時にはもう体育館が火事だったかもしれないし、津波が堤防を越えたのを見たかもしれないが、小さな子供達を登らせたのだから、それ相応の理由があったのだろう。
子供達みんなが登り終えたその2、3分後、とんでもない大津波が気仙小学校を飲み込んだそうだ。
気仙小学校に入っていたら全員アウトだった。
津波が繰り返し襲ってくる中、津波が来ない山中の道無き道を、となりの保育所まで歩いて避難したそうだ。
となりと言っても相当な距離で何時間かかって避難したかはわかりません。
その晩は「家に帰ってパパとママと一緒にごはん食べる」と言って利かなかったそうだ。

その後、息子達が生きていると知ったぱりが会いに行き、ぱりが泣いていると「ここ(ここたん)がママとやまとを守るから泣かないで」と言ったそうです。

それでも身寄りがない我々は2人を迎えに行くことが出来ません。
そんな我々の為に所長自らが自宅で預かると申し出てくれました。
職場を離れられない我々は、その言葉に甘えるしかできません。
所長さんの自宅は災害対策本部に近いのだが、会わない方がいいと言われ、ずっと会えず、しばらくしてぱりが時間を作って迎えに行き、親戚に預け現在の生活になりました。
会えなかった期間で利かなかったここたんがその場の空気を読むようになったと、同席した保育士の方が言っていました。

先生方は必死で我が子達を助けてくれました。
全てが保育所任せとなり、どんなにお礼を言っても言い尽くせるものではありません。

発災から2週間後、ancyと感動の再会を果たし、ここたんが言った言葉は「びっくりしたー、パパよかったー」でした。
5歩がやっとのやまちょこはスタスタと歩けるようになっていました。
ここたんに家を離れる事を理解してもらうため、我々2人の仕事の事を話すと「ここ、大きくなったら、津波に流された人を助ける」だそうです。
2人とも大きくなって嬉しいです。
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うまい

よだれ製造器ってのはうまいなぁ・・・
うちの子は震災で指しゃぶが復活してしまいました。
長い目で見守ってあげないといけないよね

No title

ancyさんとぱりちゃんが、職務を全うしているのと同じで、保育園の職員の方々は全力で園児たちを守ったんだね。
避難所で亡くなったかたたちもたくさんいた中、先生たちの賢明な判断のおかげで、子供たちが無事でいてくれることに、感謝の気持ちでいっぱいになるね。

東京で帰宅難民で親が園児を迎えに来られなかったところもたくさんあったみたいだけど、先生たち泊り込みで子供たちをみてくれたらしい。
先生には本当に、感謝、感謝だよね。

No title

お久しぶりです。

神戸に住む私も阪神大震災の惨劇を未だ忘れることも出来きません。似たような公務員としての職責と家族との葛藤に悩まされたのを思い出します。

ほんとにご苦労様です。
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