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一関市の新生活

先月18日に一関市にアパート借りました。
病院近いし、スーパー近いし、ライフライン揃ってるし、通勤に1時間半かからなければ最高です。
通勤はだんだん慣れてきたからいいんですが、今月からここたんとやまちょこは保育園です。
場所は通勤途中の離れた場所。
車で45分くらいかかります。
市街地の保育園は待機児童みたいですぐ入れないみたいで、たまたま同じ一関市にアパート借りたここたんと同じクラスの子はそのためやむなく幼稚園に入れたそうです。
朝はやくぱりが2人を乗せて出勤。
途中、保育園に寄って早朝保育をお願いする。
仕事終わって職場からまた45分かけて保育園にお迎えに行く。
4時に迎えに行ける訳もなく当然、延長保育。
帰りは7時頃になります。
ここたんとやまちょこにしてみれば、アパートは寝るだけの空間。
仮設住宅当たるまでゆっくりするヒマがありません。
しかも、案の定やまちょこは鼻水製造機になってるし。
環境変わって絶対カゼひくと予想的中。
保育園で発熱されたら大変です。
迎えに45分、病院に45分、もう1人をまた迎えになんていけないので子供達は同じ行動をしなきゃダメだし。
かといって職場付近の保育所は午前しかみてくれない。
もうどうしょうもない。
つらい期間が続きそうです。
せめて仮設住宅に入る頃までには、陸前高田の保育所が一日保育していてほしい。

あと、県がアパート代を支払う事になったらしい。
が、ここで落とし穴。
県がアパート代を払うのはアパートを仮設住宅として借り上げるためなので、アパート=仮設住宅となります。
よって、県からアパート代をいただくと仮設住宅に入居した事になり、陸前高田の仮設住宅には入居できなくなるのです。
融通きかなくて困りますが、ま、人生そんなに甘くないって事ですね。
しばらくは自腹で切り抜けます。
トータル的に見て、陸前高田の仮設住宅に入るのが最善なのかもしれません。
それでも、父のトイレの不都合あるし、保育所の不都合もどうなるか。
心配は尽きません。

とりあえず家族のフットワーク軽くするため、障害者向けの車は注文しました。
シートが電動で下りてきたり乗りやすくステップが飛び出してきたりするやつです。
前はアイシス使ってましたが、救急車と引き換えに津波に流しました。
今回はセレナですが、納車は8月だそうで…。
いやはや、地球はあんしー中心には回ってくれないようです。。。
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家なき子

多数のコメントありがとうございます。
人との繋がりを感じられて大変嬉しく思います。
震災前同様によろしくお付き合い願います。

今、父母ここたんやまちょこは市内の親戚に預けてあります。
避難所の近くなので電源車が来ている事もあり、ライフラインはある程度整っていて、ダメなのは水道だけです。
不自由ないかと思えばそうではなく、やはり親戚でも気を遣います。
ここたんも毎日迷惑かけまくりで、叱ってやってと言われます。
しかしながら、その場で叱る事はしません。
ここたんだってこれでも頑張っているんだと私は評価しています。
親戚の家はひいばあちゃん、老夫婦、若夫婦、子供3人と計8人家族です。
そこに我々6人が何ヶ月もお世話になるなんて心苦しいので、私とぱりは忙しい事もあり親戚の家では寝泊まりしていません。
さらに、弟夫婦達も帰ってくるそうなので、発災から1ヶ月経ちましたし、うちの家族全員早々に出て行かなければなりません。
できるだけ近い所のアパートをあたってみましたが、しばらく休みをとれなかった私達は初動が悪かった上、父母の足が悪い為1階しか住めません。
そんな条件付では、ただでさえどこも空いてないに見つかるハズありません。
そこでぱりと思案した結果、一関市のアパートを借りる手筈をつけました。
職場まで車で片道1時間半です。
きっと大変です(萎)
それでも、病院、保育園が近くにある事、ライフラインが整っている事から、即決しました。
遠い、と家族から反対されましたし、親戚からも簡単に顔を出せない、と言われました。
保育園の送り迎えや家族に何かあってもすぐに戻れないのも不安材料。
でも、それでも、住むしかないと言い聞かせ、次の休みにアパート契約してきます。
このアパートも仮設住宅が当選するまでの辛抱です。
アパートから仮設住宅、仮設住宅から持ち家へと移住するのがベストです。
当選したら仮設住宅に入ります。
でも、市職員はしばらくは選考から外れるでしょう。
間違って当選したら、市役所内部で操作したとか間違いなく苦情が来るでしょう。
当選しないのはしょうがないですが、家族がかわいそうで申し訳なく思います。
しかしそんなんではやってられないので、せめて何とか家建てる土地だけは早急に確保したいという思いがあります。
仕事柄、災害時には家を空けるので、あらゆる災害の確率が低い所を狙っていきます。
で、蔵のある家を建てるぞー(ぱり案)

ここたんとやまちょこの場合

ここたんは5歳になりました。
ここたんの弟、よだれ製造機のやまちょこ1歳。
一緒に遊び、時にはケンカをする2人の物語です。

いつものように保育所に登所した2人。
そこにやまとにとっては人生発の巨大地震発生。
やまとは先生におんぶされ、ここたんはクラスメートと一緒にすぐ近くの気仙小学校に向かった。
でも校舎には入らなかった。
気仙小学校は3階建てだが、山の方が若干高い。
先生方はみんなを気仙小学校の脇にある山に登らせた。
その時にはもう体育館が火事だったかもしれないし、津波が堤防を越えたのを見たかもしれないが、小さな子供達を登らせたのだから、それ相応の理由があったのだろう。
子供達みんなが登り終えたその2、3分後、とんでもない大津波が気仙小学校を飲み込んだそうだ。
気仙小学校に入っていたら全員アウトだった。
津波が繰り返し襲ってくる中、津波が来ない山中の道無き道を、となりの保育所まで歩いて避難したそうだ。
となりと言っても相当な距離で何時間かかって避難したかはわかりません。
その晩は「家に帰ってパパとママと一緒にごはん食べる」と言って利かなかったそうだ。

その後、息子達が生きていると知ったぱりが会いに行き、ぱりが泣いていると「ここ(ここたん)がママとやまとを守るから泣かないで」と言ったそうです。

それでも身寄りがない我々は2人を迎えに行くことが出来ません。
そんな我々の為に所長自らが自宅で預かると申し出てくれました。
職場を離れられない我々は、その言葉に甘えるしかできません。
所長さんの自宅は災害対策本部に近いのだが、会わない方がいいと言われ、ずっと会えず、しばらくしてぱりが時間を作って迎えに行き、親戚に預け現在の生活になりました。
会えなかった期間で利かなかったここたんがその場の空気を読むようになったと、同席した保育士の方が言っていました。

先生方は必死で我が子達を助けてくれました。
全てが保育所任せとなり、どんなにお礼を言っても言い尽くせるものではありません。

発災から2週間後、ancyと感動の再会を果たし、ここたんが言った言葉は「びっくりしたー、パパよかったー」でした。
5歩がやっとのやまちょこはスタスタと歩けるようになっていました。
ここたんに家を離れる事を理解してもらうため、我々2人の仕事の事を話すと「ここ、大きくなったら、津波に流された人を助ける」だそうです。
2人とも大きくなって嬉しいです。

ぱりと父母の場合

この日だけは、ぱりは普段と違いちょっと変だった。
朝いきなり思い付き、仕事を休んで午後に気仙沼に買い物に行く事を決意。
当初、母と買い物に行く予定だったが、ひとりで気仙沼へ向かった。

はっきり言って何がぱりをそういう行動にさせたかは分からない。
ぱり本人も何故買い物に行こうとしたのかは分からないそうで、おばあちゃんが守ってくれたんだろうと話す。

ぱりは気仙沼で買い物中に地震発生。
そこから自宅までは30分弱かかる。
すぐに車に乗り込み自宅までぶっ飛ばして帰ってきた。

幸い津波はまだだった。
自宅前には父の車は無く、逃げたんだろうなと思いつつ、家からやまちょこが添い寝に使うライオンの抱き枕だけ持って、ご丁寧にカギかけて公民館に向かった。

普通、家から持ってくるなら、通帳とか現金だろうが、抱き枕を持ってくるあたりがぱりマジックである。

公民館に着くと父母は車に乗って避難していた。
しかし津波が川の堤防を越えたと知ると、車で山道を駆け上がった。
車のボディーをガリガリこすりながら登り、隣町の避難所へ転がり込んで一命をとりとめた。

しかし、出遅れた父母の車が波にさらわれていた。
ここでラッキーにラッキーが重なる。
父母の車は浮かびながら近くの杉林に引っかかっていた。
さらに浸水した為かクラクションが鳴りっぱなしになり30分位浮いていた。
そこに、誰かいるのか?とクラクションに気づいた消防団員達に助け出されたのだ。
これは地元新聞にも取り上げられ記事になった。
これを読んだ親戚が安否を確認できるというオマケ付き。
でも、生きた心地しなかったと思います。
避難所では消防署からの防災無線放送が緊迫感のある「にげろー」の後、津波で切れてしまった事で、消防署員はみんな死んでしまったと思われていて、旦那の話になるとぱりは泣きながら話をしていたそうだ。

その後、我々の結婚式に来てもらった一関市の消防職員がぱり達の避難所にやってきた。
彼はガタイがよく顔もデカイ。
ぱりはそのデカイ顔を覚えていて(失礼)声を掛けたところ、ancyが無事で仕事してると知ったらしい。
その後何日かして、ぱりは避難所をでると災害対策本部に入り、ひげぼうぼうのancyと再会する事となる。
さすがに泣けました。


次回はここたん、やまちょこの保育所チームの話です。

H23.3.11

その日は朝まで仕事。
朝仕事から帰ろうとすると、ぱりが午後から母と買い物行っていいかとメールしてきた。
ぱりは1日中仕事なはず。
家に帰れば父母が詳しく知ってるだろうと帰宅するも、2人とも何だかよくわからないと言う。
何か予定あったっけ?とメールすると、理由が無くちゃ休んでダメなの?と質問返し。
更にはめんどくさいなと半ギレされる。
こっちは理由が知りたいだけなのに。
よくよく聞くと、いつも土日は子供達の世話で自由な時間がないから、仕事休んで気仙沼に買い物に行きたいと。
しかも朝起きてからふと思いいついたそうな。
意味分からないが、そうならそうと早く言えばいいのに。
それを止めさせる理由なんてないし、きっとストレス溜まってんだろうなと、快諾した。
午後になってぱりが帰ってきた。
依然ツンツンしている。
気分が悪いのでancyはパチンコに出かけた。

そしてパチンコ店内で悪夢の大地震発生。
地震だけでこれは津波が来ると確信する。
一週間前に津波注意報がでた時は、津波が早く到来していたので、家に戻って父を避難させる時間はないと判断し、何とか車で逃げてくれと思いながら消防署へ向かった。
停電で信号は止まり町は大混乱。
カーラジオから大津波警報で予想津波10m、岩手県は既に到達と放送してる。
ますますヤバい。
消防署は浸水区域に指定されているので、消防車両を高台に逃がさないとこれからの活動が全く出来なくなる。
このような大規模災害が予想される場合は、基本、火事・救急には出動しない。
津波に呑まれたら元も子もない。
ひたすら逃げろと言うしかないのだ。

消防署に着いて着替えていると、救急車の出動要請が入る。
地震で電柱が倒れて電線に走行中のバイクがマラソンのゴールテープのように引っかかってしまい骨折してしまった。
結局ancyはこの救急に出動し高台経由で大船渡病病院に向かった。
これならケガ人と救急車どちらも助かるかもしれない。
津波が来ないかビビりながら、処置も程々に救急車にケガ人を乗せて高台に走り去る。
走行中、高台からでも明らかに大津波だと分かる波が見え、大船渡病院に着くと火事の黒煙と津波で水浸しの大船渡市街が見えた。
夢を見てるみたいというのはこの事で、目に映ること全てが信じられなかった。

この時に家族みんな死んだと考えるようにした。
その方が生きていた時には喜べるし、ダメでもやっぱりなと思えるからだ。

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